嶺南寺は、寛永19年(1642年)、当時の信濃松本藩主、堀田加賀守正盛の佐倉移封と共に松本より佐倉に移り建立され、約380年、永きにわたりこの地を見守ってきました。その由緒ある当寺院をご紹介します。
曹洞宗 嶺南寺
この嶺南寺は、寛永19年 1642年 今から約380年前、江戸時代初期に建てられました。 信濃 松本城主 堀田正盛の佐倉移封に伴い、長野県松本市から現在の場所に移されました。
清浄山 嶺南寺と 号します。
開山 陽南良雪大和尚により、おこなわれました。
本山は、永平寺及び総持寺の両大本山になります。
当寺院の有形文化財
歴史的な有形文化財として、本堂中央には、御本尊の釈迦牟尼仏、向って左に閻魔及び閻魔十王が安置されています。
また、狩野因信と言う絵師による「地獄十界絵図」四幅がございます。
これら文化財は、1年に一度、毎年8月16日に、ご開帳がございます。
本堂向って右には、八臂弁財天が安置されております。手が八本で武器を持ち、禍を防ぐ女神本来の姿と言われております。
八臂弁財天は、元日から正月10日迄ご開帳されております。
御開帳の際、是非、お越しください。
歴史を感じさせるお墓
堀田正亮の長男正泰の墓。
堀田家子女の墓もありましたが、時間の経過と共に荒廃し「静体院殿一恵全心天徳大童女」と刻まれる正睦五女「徳」の墓のみが残っています。
その他の由緒あるお墓
佐倉藩の重臣である熊谷家・入江家のお墓。
堀田正盛以来の家老の家柄池浦家のお墓。
藩医浜野了元、子息で済生堂病院の昇のお墓。
作家吉川英治の生母山上氏の墓。(西側奥)山上氏は、佐倉藩士の家柄で 吉川英治の祖父山上辨三郎は、初代臼井町長になります。
寺院内の古い墓地の今後
墓地は、その歴史と共に、跡取りを失ったお墓も数多く、残されています。そのお墓の多くは、風化、荒廃が進んでいます。
当寺院では、跡取りの居ないお墓を、きちんと、供養しながら、墓地としての荒廃を止め、整理していきます。
完成した納骨堂は、少子化、核家族化に伴う皆様のお悩みにより添うための安らぎの場の一つとなりました。
そして、今後、お墓を希望される方々にお応えするため、新たな区画のご提供を進めてまります。
当寺院は、少しでも、皆様の声を反映させながら、大切な方にへの永遠の安らぎと安心の場として、歩んでいきます。また、地域の縁の中心として、歴史、文化の継承を続けていきます。
将来に向けて、少しもご興味をお持ちの方には、ご遠慮なく、当寺院まで、ご意見をお願い致します。